こんにちは。なおです。
どんな業界にも、その業界のスタンダードなやり方というものがありますね。いわゆる「業界の常識」です。
あなたの作風にもあると思います。
- 刺繍なら刺繍の
- 革小物なら革小物の
- ミニチュアフードならミニチュアフードの
常識的なやり方があると思います。
その常識は、現時点での「正解」と言えるやり方ですから、敬意を払わねばなりません。初心者なら、まずは常識に沿ってお利口に始めるところからです。
しかし、ある程度の段階に達したら、その常識を疑わなければなりません。
このメルマガ読者は、最近作り始めた素人ではないでしょう。人様に売っているプロですから、もう常識を疑わなきゃいけない段階にいるのです。
身近な例を出して、ぜひあなた自身はどうか振り返ってもらえればと思います。
意識高い系ラーメン屋の陥る罠
ボクはラーメン好き。大学生の頃から食べ歩いていたので、かれこれ15年以上になります(まぁ、子供ができて外勤を辞めた頃から、ほぼ活動ストップしてますが)
ラーメン業界の進化は著しく、安価な大衆飯から、立派な一品料理になってきています。料理人のマインドで、真剣にラーメンに向き合うお店が増えましたね。
そこで、こういうラーメンを見る機会が増えました。
丼には麺とスープだけ。
具材の「ネギ・チャーシュー・メンマ・味玉」は、別皿で提供されます。各具材が、小分けに綺麗に並べられています。
意図としては、具材の味や香りが、スープを邪魔してしまわないようにする配慮。または、具材でスープの温度が下がることを嫌っている場合もあります。
パッと見は、「こだわっているラーメン屋さんだなぁ」と感心するところ。もちろん、美味しいですよ。
ですが、冷静に考えるとおかしい。
その具材のあり方を疑った方が良いのでは?
もはや、その具材いらないんじゃない?
だって、合わないんでしょう?だから分けて提供するんでしょう?
そもそもですよ、具材を別個にチマチマ並べて提供するって、すごく不完全な料理。そんな料理あります?味玉好きですけど、ラーメンに必須とは思いません。
最初にラーメンに「ネギ・チャーシュー・メンマ・味玉」を入れた人はクリエイティブだと思います。日本式ラーメンとしてここまで市民権を得たのですから、素晴らしい発明でした。
でも、それっていつの話?戦後直後とか、そのくらいの話でしょう?
安く腹を満たせる食事の中に、やはり安く手に入る具材で、せめてもの栄養素、満足度、彩りを加えるために、「ネギ・チャーシュー・メンマ・味玉」を乗せたんだと想像します。
しかし、時代は下り、ラーメン屋の立ち位置も変わりました。
崇高な一品料理として、ミシュラン掲載を目指すような店が、なぜ何十年も前の、大衆料理の具材のまま提供する?
高級な食材を使い、味付けにも一流の技術を用いて、相変わらず「ネギ・チャーシュー・メンマ・味玉」を提供している。なぜその具材の形を疑おうとしない?
それなら、ラーメンに合いそうな一品小皿でも考えたら良いのに。ざるそばに添える天ぷらみたいにさ。
あなたはどう?
いかに多くの人が、「業界の常識」に盲目に従っているか。ラーメン屋さんの例からよくわかったかと思います。
あなたはどうでしょう?
あなたが、クリエーター精神にあふれた作家であることはわかっています。
ですが、その向上心のベクトルが、ラーメン屋でいうところの「もっと美味いネギ・チャーシュー・メンマ・味玉」に向いていやしないか。
そこが気がかりなのです。
「守破離」を意識して!
花道だか茶道で、クリエーター道として語られているのが、この「守破離」という概念。
1文字がそれぞれのステージを表していて、クリエーターには3段階のステージがあると説いています。
- 「守」:基本を忠実に真似るステージ
- 「破」:基本を疑い、自分らしい表現を試すステージ
- 「離」:自分らしい表現を確立し、新しい流派を打ち立てるステージ
はじめは、やっぱり真似から入ります。「学ぶ」は「まねぶ」が語源と言われているように、学ぶことは真似することなのです。
しかし、真似ではまだ何もクリエイト(創造)していません。
プロのクリエーターとして飯を食っていくなら、基本を疑い、あれこれとトライする「破」のステージに行かなければならないのです。
そう、今回のテーマは、「守破離」の「破」の話をしているのです。
ボクはブログを書いていますが、ブログにもやっぱり「業界の常識」があります。
大雑把に言えば、
・「需要のある検索キーワード」を調べて、
・そのキーワードで検索して上位に表示される競合を調査し、
・競合よりも優れたコンテンツを提供する。
といったもの。
ですが、当ブログは、そもそも検索キーワードを調べてすらいません。競合も見ていません。
検索需要は全くないけど、「これは作家さんに必要だから」と執筆した記事がいくつもあります。いや、大半がそんな感じじゃないですかね。
もしボクが、「業界の常識」に沿って、検索キーワードを調べて、競合と見比べて記事を書いていたら、さぞやつまらないブログになっていたことでしょう。
そうだったなら、あなたがこのメルマガを読むこともなかったはず。
ただ、ボクもやっぱり最初は、ブログ界の業界の常識に沿って試行錯誤をしました。実は、このハンドメイドのブログは、通算6個目のブログなんです。
失敗も経験して、成功も経験して、「なるほど、こうやれば上手くいくんだ」と理解した上で、業界の常識を疑うことにしたのです。
もし最初のブログを同じスタイルで始めていたら、まず上手くいかなかったでしょう。
ヒントは他の業界にある
「破」のヒントは、間違いないと断言して良いほど、「他の業界」に眠っています。
ラーメン屋の例で言えば、他のラーメン屋ばかりを見ていてはいけません。「和食」や「フレンチ」に、そのヒントがあるのではと疑ってみるのです。
ボクは格ゲー好きで、「ギルティギア」というシリーズが大のお気に入りでした(知らないですよね💦)。
ギルティギアが頭角を表してきたのは2000年頃。ゲーセンで始めて見かけた瞬間から、明らかに異質な存在でした。
当時メジャーだった「ストリートファイター」や「キングオブファイターズ」は、一般的な粗さのドット絵だったのですが、ギルティギアは縦横のドットがそれぞれ倍で、都合4倍細かいドットでした。ゲームというよりは、アニメキャラをそのまま動かしているような体験でした。
BGMもいわゆるゲームサウンドではなく、ヘビメタでした。凄まじく異質で、なんともカッコよかった(ちなみに、サントラ買って今でも聞いています)。
当時は、「鉄拳」や「バーチャファイター」のような、よりリアルな人間の戦闘を目指したタイトルが流行りでしたが、ギルティギアはその逆。空中で2段ジャンプしたり、空中でダッシュしたりと、アクションゲームに寄せたゲーム性でした。
過去の格ゲーの優れたところは学びつつも、果敢に攻めた、圧倒的な「破」のタイトルでした。そして、後の格ゲー界に影響を与える「離」となりました。
2000年代のギルティギアは間違いなく覇権ゲー。秋葉原のゲーセンで30台もの筐体が並んでいながら、それでも待ちができるほど盛況だったのを思い出します。
すでに一定のレベルに達した作家が考えるべきは、
「もっと美味いネギ・チャーシュー・メンマ・味玉」ではなく、「ネギ・チャーシュー・メンマ・味玉」に代わる新しい具材なのではないでしょうか?
もちろん、スープと麺のあり方から疑っても良いですよ。すっかりメジャーになった「つけ麺」や「台湾まぜそば」は、登場時点では最高にクリエイティブでした。
新しい技術を学ぶのも良いですね。さまざまな芸術方面の表現方法を観察するのも良いと思います。
そうやって、あなたの作風にMIXするネタを考えてみてください。そうやって考えて試行錯誤することも含めて、「破」というステージなのです。